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「パソコン出張お助け隊」隊長の四方山話

PCケア事業説明会実施について

昨日(2023/05/16)、MRO北陸放送さんでお話した際、この5月から「PCケア事業説明会」を再開しますと言いました。
詳しい内容は時間の関係でお話しできませんでしたが、HPには短く理由を記載しました。PCケアは、パソコン修理専門店として店舗展開を開始したのが、2002年の10月10日(木曜)に、店舗2階事務所をPCケア金沢店として始まりました。私を含めて6名のスタッフで営業しました。金沢店として営業する前は、5名で営業して、その当時はパソコン出張修理が全く浸透していませんでしたので、日々金沢市内の電気屋さんとか、クリーニング屋さんとか、色々なお店にチラシを置いていただくお願いをしていました。その他にも、各事業所を訪問して、パソコン出張修理屋を知っていただく営業を行っていました。こうした営業努力の効果もあって、更に、2001年に入ってから、世界中で感染被害が広がったNimdaウィルスの影響もあり、毎日多忙な日々が続いていました。2001年から多忙な日々が続いていましたが、この時は、パソコン修理以外に、パソコン機器販売やソフト開発・販売なども実施していました。その後2002年の夏、忘れもしませんが、以前に当社で作成したソフトを使っていた会社のM社長から、突然お電話があり、「近くに用があるので、久しぶりに昼食でも・・」とのお誘いがあり、当社近くで昼食を取りながら話をしていたところ、M社長から、「お忙しいですか?」とあったので、「お陰様でパソコン修理の方が忙しいですよ、他の分野はまあ変わりませんよ」と、そしたらM社長が突然驚いたように、「恐らく、今、高山さんがやっているようなことをこらから東京でやろうとしている人がTVに出るよ、来週!」、「マネーの虎って言う番組知っている?」と聞かれましたが、知らなかったのすが、来週観てみたらってことで、会社に戻ってその話をしたら、私以外のスタッフは番組自体は知っていたようですが、パソコン修理屋さんを始める人が出演するとは知らなかったようで、みんなで観ようとなって、その「マネーの虎」を観ました。

2002年8月2日放送の番組を観て、私は爆笑と激怒と興奮で椅子から転げ落ちてしまいました。出演されたK社長は、ご自分の事業計画をプレゼンして、その結果、2名の社長から出資をいただくかたちで670万円を得ることになりました。この事自体は、パソコン修理屋さんとしては、事業性を評価されたわけですから、同業者として喜んで観ていました。しかし、事業計画の中身はと言えば、全く実現不可能なことばかりで、プレゼンされたK社長は、ご自分の計画を述べたに過ぎませんが、それに出資を決めた社長達に納得がいかず、興奮してしまったわけです。一夜明けて、会社でスタッフと話をしても全員が同じ意見でした。あのやり方でパソコン修理はできないと皆一致、お叱りを覚悟で言いますが、TVだから脚本ありの「やらせ番組」だよねって、それでもK社長はそこから、しっかりと軌道修正してパソコン修理を続けていらっしゃることは、素直に称賛させていただきます。
後から知ったことですが、私の住む金沢はローカルですから、観たTVが2002年8月2日でしたが、関東圏では5月の放送だったようで、それが理由かどうかは分かりませんが、8月2日に観た1週間後、M社長から連絡があり感想を聞かれたので、自分の思いを話しました。そうしたところ、M社長のアドバイスもあり、放映局さんに、抗議のメールを送信しましたが、結果無反応。
そして、M社長から言われたことが、「出演したK社長は、全国出店するって言っているけど、どう思いますか?」って聞かれたので即答で「無理!、絶対に無理!」って答えました。続いて「どこがどう無理なの?、もっと良いやり方があるのかな?」って聞かれたので、自分なりに、既にパソコン出張修理を実施しているから、その視点で考えられる店舗展開方法を長々と話したところ、M社長が「それほどまでの思いがあるなら、高山さんが自分でパソコン修理の本部をやって加盟店を増やしたら良いのでは?」、「僕が加盟店第一号になるから、本部をやってみたら?」、「はあ?」って、そんな会話があってから、パソコン出張お助け隊の事業計画を作成し、約1周間でA4用紙30枚にまとめました。まとめ上げた頃には、PCケア金沢店と福井店のオープンに向けて、FC契約も締結完了し、出店の準備が着々と進んでいました。ですから、このM社長から昼食のお誘い電話が無ければ、PCケアは生まれいなかったわけです。当時は社名は別でした。有限会社〇〇○のPCケア事業部として営業していました。やがて事業が起動に乗り利益がどんどん上がってきたので、PCケア事業だけを目的にした株式会社PCケアに社名変更をしました。


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古いPC修理、大好き!

先ごろ、緊急ご依頼あり。詳しい事情は不明ですが、パソコンの状態と持参された方の情報に基づき推察すると、当該PCは何らかの工作機械に繋がっていたPCと思われます。
懐かしい方も多いでしょうが、PCは今はなきCompaq社の製品、Deskpro 2000と言う機種です。記載ラベルから、1997年製、シリアル番号が3000番台の、珍しい機器でした。故障内容は、電源が入らず起動しない。25年前のパソコンが、ちゃんと動いていたってことですが、分解・検査しましたが、昔のPCは、現在のものと比べると、とにかくしっかり作られています。分解して、一通り検査しましたが、直接の原因は電源ユニット故障、マザーボード上の部品の損傷でした。マザー修理の上、通電を確認しましたので、電源ユニット入手している最中ですが、驚きなのが、ハードディスクが生きていることです。4.3GBの富士通製ですが、検査では異常なし。恐れ入りましたって感じです。25年動作して、まだ元気な検査結果です。しっかりと作られているってことです。流石!Made In Japan

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若い外国人科学者襲来!

先日、閉店直後に若い外国人の男女がお店に襲来しました。
片言の日本語と英語混じりで、持参したパソコンが使えないので、診て欲しいと必死に訴えている。二人共に20代後半って感じ、男性は北アメリカ?、女性はアジア系?(中国や韓国以外)、
男性曰く、「彼女は科学者です。研究データや提出書類がパソコンにあるから、困っている、電源が入らない」とのこと。
持参したパソコンは、Dell製のXPSノートで、よく故障する機種でした。私は英語がスラスラ話せるわけでもありませんが、言っていることは理解できたので、単語を並べて説明したが、非常に困っている様子でしたから、その場で分解して確認したところ、故障箇所は毎度同じ、液晶パネルのヒンジ部の破損でした。当該機はこうした構造上の欠陥とも思える状態で、電源ジャック部が破損するってことを、このお二人にも伝えて、応急処置として、電源アダプタを挿した状態で使っていたくことにして、通電を確認した。女性がお金を払おうとしましたが、遠く離れた日本に来て、どんな研究かは分かりませんが、「頑張ってや」って気持ちで無料にしました。そしたら、男性が「おもてなし、嬉しい」って言いましたが、それはちょと違うけどなあ、女性は本当に驚いたようで、感謝の言葉を何度も繰り返してお店を出ていきました。